爺やは長生きしているが。知らんことが多過ぎます 簡単にいうと。黄色と青色の中間にあるのが緑ですが。色相濃さの違いを見分けて。浅葱黄緑青緑深緑老緑若緑などと。区分する人がいらっしゃいます 情景西教寺の本堂を。紅葉の若葉越しに望む 情景祖師堂の山門下で一休みするアル君 不思議なことに。この場所では涼しい風が。いつも通り抜けています この位置からは琵琶湖の南湖を。この山門を額縁として。一望できます そのうちに。緑滴るなんていう表現が散見される夏の初めです 若葉は新緑。青葉は深緑。濃さで表現を変えるようで。日本人の感じ方には驚かされます やがて新緑から深緑に変わります 今は新緑の真っ盛りですが。この参道長くはなく。参詣の人は疎らです 緑一色になった状態を萬緑ともいうそうです 新緑の風にゆらるるおもひにて飯田蛇笏 芭蕉が日光の東照宮に参詣した時。作った句だそうです あらたふと青葉若葉の日の光芭蕉 情。そこでスルリと売れていくタレントを見ると。真摯に音楽だけで食っていきたいと願う人たちは地団駄踏みたくなるのは仕方がない しかし聞きたい人がいるから売れるのだ。という構図も否定できない 確かに。ネームバリューがリリースの決め手となる時代 など存在そのものを否定する言葉も少なくない こういうキャラ 別にいいけど俺は認めん音楽とは思わない そこで。
カスタネットやマリンバやらタンバリン。大太鼓や銅鑼を打ち鳴らす者。足踏みする者。警笛を吹き鳴らす者。指笛を鳴らすもの。金切り声を上げる者。書斎は暫しの間人間たちの集会とは思われない狂騒の場になった そして。月日の深夜が。そのパレードに決められた まるで曲馬団ご一行様のような出で立ち。装備をした会員たちが。ワルプルギスの夜のように。ぞろぞろと。廃校になった山の上の分教所の校庭に集結したのである トランポリンを運び込む者。愛用の手拭を持つ者。これは私である。風船を持つ者。団扇を持つ者。縄跳びを持った者。絨毯を担いだ者。大きな車輪付き旅行鞄を引いている者。それ以外にも色々な道具を運び込んでいたが。思い出せない 敢て喩えるならば。リオのカーニバル。いいですか。町おこしの何々サンバ祭とはちがいますよ。のようなものだから。会員たちの盛り上がりは尋常ではない ある日の会合で。暴走族あるいは別名雷族ならぬ。自分の主張が上手にできない 人間関係をはぐくむ力がない 勉強教えられたことはできるけど。その勉強を生かす力応用力がない 文科省の言っていることは。めちゃめちゃです そんな子どもが。増えていますよね こういう諸々の力が。
年一日の如くというが。本当に馬齢を重ねてきたものだ 仕事でしょっちゅう行っていたのはもう年近くも前で。水上バスに乗ったのももうそれくらい昔だ 仕事に追われていても仕事をつきつめて考えたとは言えないし。仕事以外のことをする余裕もなかった 写真は代々木公園 この写真を撮ったのはしばらく前なので人がいない 公園の西の方のやや丘になっているエリアはエルと私のお気に入りで。人も少なく静かなのでここでいつものんびり座って空を見ているのだが。さすがに春になるとこのエリアも他の場所より少ないとは言え。静かでもなくなった 行きはまだ曇っていたが帰りはからりと晴れてなかなか気持ちの良い分だった 昨日は社外のセミナーにでて帰りは有明から水上バスで帰って来た 会社に行くと連休の話題やなんだかだと話もたくさんあって帰りも遅くなる 営業セクションではないので忙しいわけではないが通勤だけでも疲れるものだ 早く帰ればいい。国産の名機からハッセル。ライカまで何でもある この中古カメラという店の佇まいに痺れる 狭い店内にぎっしりと王道から珍品までの品ぞろえ こちらが代々木の名店。代々木カメラ 駅前の交差点からはビルの屋上はかろうじて見える たまたまカラーが入っていたのはフィルムが無くなってコンビニで買ったから コンビニには残念ながらモノクロは売っていない 新宿のピカピカの某カメラとかもありますが。